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2019年08月21日(水) - 09月21日(土)
千葉和成「ダンテ『神曲』現代解釈集」展 ミズマアートギャラリー
パンフレット、別紙に掲載

山下裕二

ボロ雑巾を振り絞る千葉和成


千葉和成とはじめて会った日のことを、よく覚えている。
いまはなくなってしまった、銀座のPepper's Galleryという画廊でのこと。日時の記憶は定かではないが、たしか2011年のことだったと思う。
このギャラリーからは、そのしばらく前に齋藤芽生がデビューした個展を観に行って以来、案内ハガキが届くようになった。それからしばしば、気になる展示を観に行くようにしていたのだが、千葉の場合、事前に彼に関する情報はまったく持っていなかった。しかし、それでも観に行こうと思ったのは、ハガキの画像を見て、惹かれるところがあったからだと思う。
はじめて会った千葉は、私の文章を読んでいたらしく、すぐさま話しかけてきた。そして、その話しぶりに、最初、私はかなりたじろいでしまった。ものすごい早口で、言葉がもつれるように話す。もうちょっと落ちつきなさいよ、と言いたいぐらいだったが、ともかく、彼が異様なほどの熱意を持っていることはわかった。初対面の作家が積極的に話しかけてくる場合、はっきり言って苦手なことが多いのだが、彼の場合、不思議と嫌な感じがしなかった。
なぜかと言えば、その話しぶりが、そっくりそのまま作品のたたずまいと一致しているように思われたからだ。饒舌で過剰。不器用だが、あふれ出るような表現意欲。聞けば、ダンテの「神曲」をテーマに、その「現代解釈集」を構想していて、これからライフワークとして取り組んでいくのだという。
その後、彼から長い手紙が届いた。あの日に話した口ぶりそのままに、あふれるような言葉が綴られていたと記憶している。それをいま、探し出そうとしたのだが、どうしても出てこない。もちろん捨ててはいないから、彼が今後、大作家になって、私が死んだ後に、教え子たちが仕事場から発掘してくれるだろう。
それから1年ほど後、2012年に開催された「岡本太郎現代芸術賞展」(通称TARO賞)で、彼は岡本太郎賞に次ぐ二番目の賞、岡本敏子賞を受賞した。私はその審査員の一人で、もちろん彼の作品を強く推したが、他の審査員で事前に彼の作品を観ていた人はいなかったと思う。その折りに私が書いた審査評を、ここに再録しておきたいと思う。

作者は、この作品にありったけの力を注ぎ込んでいる。そして、これから膨大な続編が加えられるだろう未来の作品にも、さらに膨大な力を注ぎ込もうとしている。ボロ雑巾を振り絞るように。技術的に洗練されているわけではない。メッセージが十全に伝わっているわけでもない。しかし、そんな姿勢に感銘を受ける。数年前、ダンテ「神曲」の現代的解釈という、無謀で壮大な枠組みを設定した作者にとって、このたびの震災、原発事故は、思いがけない、しかし必然的なテーマとしてのしかかることとなった。このテーマを作品化することは、いま、もっとも難しい。真っ正面から、愚直に、真摯に取り組んだ作者に敬意を表して、岡本敏子賞を贈りたい。

彼がこの賞を受賞するまで、メールでのやりとりはしていなかった。しかし、岡本太郎美術館の学芸員から私のアドレスを聞いたようで、受賞直後に、長文のメールが来た。「ボロ雑巾を振り絞るように」という言葉が嬉しかった、と書いてあって、私も嬉しくなった。
その後、グループ展で作品を観る機会はあったが、会う機会はほとんどなかった。しかし、折にふれてメールのやりとりをしていて、その中で彼は、ダンテ「神曲」現代解釈集の完成に少なくとも10年はかかると言っていた。そして、2017年12月18日付けのメールには、以下のように書いてあった。
実は山下先生に一昨年(2015年12月18日)にお送りしたメールには、10年掛けて「神曲」を完成させるお話をさせて頂いてしまったのですが、その後三潴様との話し合いで、先ずは2019年を目指し全体を大きくとらえた形(地獄篇から天国篇までの骨格部分)で展覧会をさせて頂く予定で制作を進めることになりました。2019年には展覧会が行えるように頑張りますので、是非展示の際は山下先生にご覧頂けましたら幸いでございます。
そして2019年8月、ようやくミヅマアートギャラリーでの展示が実現する。もう、何年も千葉に会ってはいない。この文章の依頼も、彼からではなくギャラリーから来た。2017年12月以降、メールも一通も来ていない。おそらく彼は、できるだけ外界との接触を断って、制作に没頭しているのだろう。この個展で千葉和成の、饒舌な、過剰な、不器用な、でもあふれるような表現意欲に満ちた、壮大な作品を観ることを、私は他の誰よりも楽しみにしている。


山下裕二(やましたゆうじ、1958年-)
美術史家。1958年、広島県生まれ。東京大学大学院修了。明治学院大学文学部芸術学科教授。室町時代の水墨画の研究を起点に、縄文から現代美術まで、日本美術史全般にわたる幅広い研究を手がける。著書に『室町絵画の残像』、『岡本太郎宣言』『日本美術の二〇世紀』『狩野一信・五百羅漢図』『一夜漬け日本美術史』など、企画監修した展覧会に『ZENGA展』『雪村展』『五百羅漢展』『白隠展』などがある。




2012.4月
BIOCITY No.50

倉林 靖

「未来へつなぐレジスタンス・デザイン」連載
「震災no.3 原発(原爆)とアート」(抜粋)

「ヒロシマ・ナガサキ」と「フクシマ」いま、日本社会と原発について真剣に考えている多くのひとは、とてももどかしい思いでいるにちがいない。なぜ、この国は、あのような事故を経ても、全然変わろうとしないのか、あるいは少なくとも、変化がこうも鈍いのか?
たぶん、原子力発電は「絶対悪」である、と言い切ることはできない。(しかし、私はその後、原発は「絶対悪」に等しいと思うようになった)。しかし日本社会は、このように地震や災害が多い国土であるにもかかわらず、いまの時点で、原発を安全に運転・維持管理できる技術力をもっていない。また原発を推進するに際しての民主的な手続きに関する透明性と、正統的な原理・原則を、著しく欠いている(注1)。いま日本に54基ある原発のほとんどが運転を停止しているが、日本社会は基本的にはほとんど支障なく動いている(注2)。わたしたちは、なぜ、基本的に無くてもいいもの、しかも実は多大なコストがかかり、危険でリスクが高いもの、そして一部の人間の利権ためにのみ存在するものを、こんなに多く抱え込んでしまったのだろうか。  最近の原発の事故と照らし合わせて、広島・長崎の被爆と、その表現について考えなおすと、「ヒロシマ・ナガサキ」と「フクシマ」の問題が抱えている根は、実は同じなのではないだろうか、という気がしてくる。広島と長崎になぜ原爆が落とされたのか。もちろん落としたのはアメリカである。しかしアメリカに原爆を落とされるような状況にまで日本を追い込んだのは、いったい誰なのか。勝つはずのない戦争を、終えるタイミングを失ってズルズルと続け、空襲の被害を拡大させ、市民に多大なる犠牲を強い続けた日本政府と軍部の責任ではないのか(注3)。日本政府の愚策によって一般市民に多大な犠牲が強いられ、市民がすべて政府や行政のツケを払わされ、尻拭いをさせられる。こうした構造は、ヒロシマ・ナガサキもフクシマも同じであり(また沖縄や水俣も同じであり)、だから結局は、あの戦争を日本国民がどう考えているのか、という問題と、今回のフクシマの問題は、相当に重なる部分があるのではないだろうか。  たとえば毎年の終戦記念日(注4)に近くなると流される、あるいは普通の日常においても流されている、戦争を扱った日本のテレビドラマなどでは、かならず、日本の民衆は戦争をまるで不可避の自然災害のように考えており、被害者として、「仕方がなかった」ものとしてひたすら耐えている。そこには、そもそもあの戦争は一体誰が起こしたのか、なぜ起こったのか、という責任の問題の視点が欠落しているし、他方では、日本はあの戦争で被害者であるよりも前にまず加害者であった、という視点がまったく欠落している(注5)。おそらくかなりの程度の検閲と自己規制がそこに働いているのではないか。あの戦争を正しく反省・批判することのできない日本の国民・日本の民衆(注6)が、戦後、これほどまでに多くの原発を作ってしまった日本社会を反省・批判することができないのもまた道理である。やがてフクシマの悲劇も、民衆のなかでは、あれは天災なので仕方なかった、わたしたちはお上の言いなりになって耐えるしかない、という観念に塗り固められていってしまうのではないだろうか。   このように考えてくると、この国では、ヒロシマ・ナガサキや、いまのフクシマの問題を、ひとびとがどう記録し、どう表現してきたか(いるか)、という問題が気にかかってくる。美術系の若い学生と話していると、ときどき、日本では社会的なテーマを扱った表現にどうして反応や手応えがないのか、という質問を投げかけられることがある。外国ではどうなのかという実感は私にはよく分からないが、確かに、日本社会の土壌では、社会的な表現に社会が応えない、社会が変わらない、という諦め、閉塞感が漂っているような気がする。しかも今日の原発の事故は、人類がまだほとんど経験したことのない事態であり、不可視の放射能に対して、アーティストがいったいどう対していったらいいのか、という戸惑いが多くみられるように思う。未来につながる反省・批判は、まず無数の表現の積み重ねから表れてこなければならないは
ずだが、いま、たとえばアートの現場では、「フクシマ」はどう表現されているだろうか? 「地獄篇[FUKUSHIMA]」  前にも示したように、震災直後からチャリティなどの目的で特別に企画された展覧会が数多く開かれ、そこでは当然、福島や原発をテーマにした作品もかなり多くあったはずである。直接的なテーマ、ということでなくとも間接的に、多くのアーティストが、震災と原発事故によって、自身のメンタリティと制作行為そのものにそうとう大きな影響を受けているとも考えられる。全体像を掴むことは難しいながら、ここでは、私の個人的な関心と関係のなかから、特に目立って原発の問題を主題としてとりあげている幾つかのアート作品を例に考えてみたいと思う。最近知ったのだが、ダンテの「神曲」を根本的なイメージ源として、そこに東北大震災と福島原発事故のイメージを重ね合わせて作品制作を行っている、千葉和成というアーティストがいる。彼が「神曲」をテーマに制作しようと思い立ったのは、実は東北大震災よりはるかに前のことで、そこではライフワークのように長い時間をかけての、「神曲」に登場する地獄・煉獄・天国に属するすべての「圏」のヴィジュアル化が意図されている。そのなかで、震災後に描かれた「地獄篇4―6」そして「地獄篇7」という2つの大画面の絵画には、東北大震災と福島原発事故のイメージが色濃く投影されている。  「神曲」で地獄を経巡るダンテは、ここでは作者自身の分身として描かれているそこで主に案内役をしているのは、鬼の形相と化したヴェルギリウスである。タイトルは「地獄篇4―6[FUKUSHIMA1]」、「地獄篇7[FUKUSHIMA2]」と題され、とくに福島の風景がイメージされているようだ。「4―6」の絵の背景には、爆発し炎上し、あるいは建屋の壁を吹き飛ばされた原発四基がはっきりと描かれている。その前景には津波に襲われ炎上し瓦礫と化した町々があり、もっと前景には番犬や鬼や妖怪に襲われる政治家や芸能人の姿があり、そこに正面に座って激しい身振りで慨嘆する作者=ダンテの姿が描きこまれている。全体のトーンは、ヒエロニムス・ボッシュ風、ないしは東洋・日本の地獄絵巻風のタッチである。「地獄篇7」では風景はもっと荒涼としたものとなり、散在する瓦礫の向こうに小さくダンテとヴェルギリウスがいる。また関連作品に、立体物として構築された「原発ジオラマ」があり、これは大きな台のうえに激しく変形した原発4基が成形されている、というものである(注7)。  実は私は、実作を見ずにギャラリーのハガキの図版で作品を見たときには、大震災と原発事故のテーマの取り込み方は安易で、表現もストレートすぎ、原発と社会システム、科学などの今日的な複雑な問題を表すにはナイーヴすぎるのではないかと思っていた。しかしその後、川崎市の岡本太郎美術館(神奈川)で実作を見たときに、その評価ががらりと変わった。たんに視覚情報として写真図版で作品を眺めるのと、作者が実際に塗りこめたタッチや色の印象を間近で見て感じるのとでは、やはり作品の見え方は違うのだ。実際の絵をみると、表現がストレート、どころではなく(いや、確かに「ストレート」ではあるのだが、しかしそれは決して「単純」ではない)、大震災や原発事故という事象にたいして、作者がどのような複雑な感情経験を持ったか、たとえば責められる政治家や芸能人も、責める鬼も、他者であるとともに自分も含まれた社会でもあり、そこでどれだけのやりきれない気持ちが鬱屈されているか、そういったことをはるかに切実に感じ取ることができたのである。 千葉の表現は、壊れた原発が、いまや常にわたしたちの生活と意識の傍らに存在することを、想起させようとする。さまざまな人間の業のようなものが集積して、この事態を作っていることが示されているが、しかしまたこういう事態にいたった責任のある者を鋭く告発しようという姿勢も、示されているように思われる。  細かい事は省くが、私は千葉との対話のなかで、彼の家族に障害のあるひとがいて、家族としても個人としても、生活のなかで対社会的にとても緊張を強いられてきたこと、そういうなかで、かつての神戸連続児童殺傷事件(酒鬼薔薇事件)やオウム真理教事件などさまざまな社会的事件に関する複雑な心理も抱え込むなかで、ダンテの「神曲」をテーマとして展開しようと考えたことを知った(「神曲」、特に「地獄篇」には、政争に敗れ追放の身となったダンテのルサンチマン[怨恨]が投影されている、とはよく指摘されることである)。言い方を変えれば、地獄巡りを経て煉獄から天国に向けて浄化されていくダンテの魂の遍歴を「現代解釈」(作家自身のことば)するということが、作者自身に文字通り切実なテーマなのであった。だから大震災と原発事故のテーマは決して取ってつけたように安易に選ばれたわけではなく、作者の以前からの普遍的なテーマにつながったかたちで取り込まれ、解釈されているのである。また作者の実家が実は福島原発のかなり近くでもあるらしく、その意味でも彼にとって原発は切実な問題であったらしい。これらのことが、私が作品に複雑な感情的験緯をみることができるように思った理由なのかもしれない。そういう感想の原因の一端を成しているのかもしれない。  いうまでもなく、おもに視覚的な表現形式である美術/アートに、たんなる情報や記録以上の存在意義があるとすれば、それは単線的・単純論理的な記述ではない複雑な要素の絡み合った観念を提示できるところにあり、また感情的・感性的な経験の記憶・記録・記念(祈念)・表出・そして他者との共有、ができるところにもある。これは古今のあらゆる美術/視覚表現が果たしてきたことであり、この機能は、市民間の対話が必要になってきている今日、ますます重要なものとして認識されていくのではないだろうか。美術は社会をすぐさま変えるわけではない。しかし見るひとを立ち止まらせ、熟考を促し、自分(たち)の立ち位置について深い思いに至らせる。千葉の作品の前に実際立つことによって、ひとは、作者の経験に共感したり反発したりしながら、これらの災害や事故からいったい自分が何を感じ何を思ったかを、反芻し考えることができるのではないだろうか。  この作品を見る前に思っていた、福島の表現は現在の複雑な状況を反映するようなコンセプチュアルなものでなければならないのではないか、という思いは、彼の作品をみて、いくぶんか変化したように思える。ナイーヴな表現も(あるいは、ナイーヴな表現こそが)、こうした主題においても、力を持つのだ。このことを次の例と照らし合わせながら、後に考えてみたい。

倉林 靖(くらばやし やすし、1960年 - ) 美術評論家、音楽評論家。(Wikipediaより)
1960年群馬県生まれ。青山学院大学文学部史学科卒業。1986年、美術出版社主催「芸術評論」募集で第1席入選し、以後評論活動を開始。美術評論家連盟会員。現在、武蔵野美術大学、東京造形大学、京都造形芸術大学、東海大学大学院、東海大学、東京工科大学、専門学校桑沢デザイン研究所で非常勤講師。日本の現代美術、芸術社会学、視覚伝達論、および芸術と社会、思想に関わる領域を専門とする。リコーダー奏者でもあり、大竹尚之に師事。

主な活動
「水戸アニュアル’94 開放系」(水戸芸術館現代美術ギャラリー、1994年:企画協力)
αMギャラリー(武蔵野美術大学主催)の1996年4月~1998年3月のキュレーションを担当。若手作家の個展16本を企画。
『美術手帖』『みづゑ』『美術の窓』『アサヒグラフ』『アサヒカメラ』『STUDIO VOICE』『武蔵野美術』『音楽現代』『文藝』『現代詩手帖』他、
美術・音楽・文芸誌の執筆多数。

著書
『意味とイメージ:「非-意味」をめざす文化』(青弓社、1990年)
『超・文化論:危険を孕むモダン・カルチャー』(日本経済新聞社、1992年)
『現代アートの遊歩術』(洋泉社、1994年)
『現代アートを聴く:20世紀音楽と今日の美術』(スカイドア、1995年)
『岡本太郎と横尾忠則:モダンと反モダンの逆説』(白水社、1996年)
『澁澤・三島・六〇年代』(リブロポート、1996年)
『新版 岡本太郎と横尾忠則』(BOOKEND、2011年)




2012.3月
artscape

福住廉

artscapeレビュー/プレビュー 岡本太郎現代芸術賞展

岡本太郎現代芸術賞といえば、いまや日本の若手アーティストたちにとっての登竜門としてすっかり定着しているが、ここ数年の受賞作の傾向は全般的に定型化されている印象が否めない。それが自らの様式に呪縛されていった晩年の岡本太郎を彷彿させることはともかく、いずれにせよ審査員の全面的な入れ替えを断行しない限り、例えば「動脈硬化」に陥って久しいVOCA展やシェル美術賞と同じような末路をたどることは目に見えている。どういうわけか、選考する権力に固執する美術評論家や学芸員が多いが、おのれの存在が状況の停滞を招いているという客観的な事実が見えないようであれば、同時代の美術の動向を的確に見抜くことなどできるはずがないではないか。このようなコンクール展で頻出する、ある種の「遅さ」は、年に一度催されるという制度に端を発していると言われることが多いが、じつは、ひとえに選考する者自身の眼力に由来しているのである。 そのことを踏まえたうえで、なお本展で注目したのは、千葉和成。これまでダンテの『神曲』を現代的に解釈した作品を制作してきたそうだが、今回は東日本大震災における津波や地震、原発事故をモチーフとして盛り込んだ平面と立体を発表した。福島第一原発の地下に巣食う怪物によってメルトダウンの悪魔的な光景を描写した立体作品の迫力に比べると、平面作品は全体的に画面の構成が粗く、随所に仕掛けられたユーモアも逆効果に終わっているという難点がないわけではない。ただ、そうだとしても、画面の四方八方を貫く執拗な粘度は見る者の視線を惹きつけるには十分すぎるほどであり、これが近年の絵画に大きく欠落している特質であることには変わりがない。時事的な主題を強引に作品に取り込み、自らの世界観を更新してみせた力技も、評価できる。
2012/03/16(金)(福住廉)

福住 廉(ふくずみ れん、1975年生まれ。)美術評論家。(Wikipediaより)
九州大学大学院比較社会文化学府博士後期過程単位取得退学。東京藝術大学大学院非常勤講師など。
2003年に「alternative reality ストリート・アマチュア・クリティカル」で「美術手帖」芸術評論佳作。
「artscape」、「共同通信」などに寄稿する一方、連続企画展「21世紀の限界芸術論」(ギャラリーマキ・東京)などを企画。
著書に『今日の限界芸術』、共著に『ビエンナーレの現在』、編著に『佐々木耕成展図録』など。




2012.3月
美術手帳2012年4月号

TARO賞決定!

石井芳征=文 Text by Yoshiyuki Ishii
震災から1年、今年の岡本太郎現代芸術賞が発表に


今年のTARO賞は、やはり東日本大震災の影響なしには語れないものとなった。直接的に題材にしたものから、制作の姿勢として作品内に潜めたもの、そして一見その影響のまったく感じられないものも含め、この天災かつ人災は、すべての作家たちに意識的もしくは無意識的に共有されている印象を受けた。  岡本太郎賞を受賞した関口光太郎の<感性ネジ>は「震災に個々とを寄せつつも、あえて生のしるしを思うさまを連ねようとした」という審査評を得た。紙とガムテープでつくられた動植物、ハリウッドスター、建造物などの塑像が組み合わさり、5.5メートルにも及ぶ巨大な塔を形づくる。「つくらねばならない」という衝動と「人に伝えなければならない」という客観の間を往復する作者の体力、その結果生まれた絶妙な軽さと重さのバランスが、作品に説得力を与えオリジナリティーを生んでいた。  普段は子どもたちに美術を教える教員である関口。「アートを諦めるわけにはいかない」。日々子どもたちと接する作家だからこそ言える希望の実感に嘘はないだろう。等身大の自分を未来に投げ出す姿勢が評価されての受賞といえる。  岡本敏子賞を受賞した千葉和成は、震災と原発事故を直接的に表現しており、作家自身の迷い、愚直さから生まれる熱量が展示から伝わるものだった。ダンテの<神曲>を現代的に解釈し、事件、事故、政治スキャンダル、現代社会の絶望の景色を、どこまでも暗い旅路として執拗に描き切った。  特別賞は2名、食べるという生理的行為を媒介に、家族を描いた坂間真美。作品(虚構)への家族の参加による、関係性自体の微妙な変化を見るものに想像させる。ポールダンスで発電し暮らす日常を映像とパフォーマンスで見せた、メガネの作品は、原発事故による電力問題への体を張った精一杯の解答が可笑しさと物悲しさを見るものに伝えていた。  アーティストである前にひとりの人間として、この未経験の選べない「現実」とどう向き合うか、表現することの必然性をそれぞれが問われた今年のTARO賞であった。しかしそのような問いに正解を出せるものなど誰もいないのではないか。その意味で、彼らと私たちは同じ立場にいることを忘れてはいけない。



2012.2月

東京新聞2012年2月4日

岡本太郎現代芸術賞受賞作決まる
太郎賞には新座の関口さん敏子賞は厚木の千葉さん

川崎市岡本太郎美術館(同市多摩区)などが主催する「第十五回岡本太郎現代芸術賞」の受賞作が決まった。岡本太郎賞には関口光太郎さん(埼玉県新座市)が、岡本敏子賞には千葉和成さん(神奈川県厚木市)が輝いた。(山本哲正) 昨年九月までに寄せられた応募作約八百点には東日本大震災や福島第一原発事故を思わせる作品が目立った。太郎賞、敏子賞などには「付け焼き刃でなく、自身の制作活動に織り込んだ力作」(同美術館)がくい込んだという。 「震災でものを作ることに絶望しそうに。しかし、美術の教員であり、あきらめるわけにはいかない」―。関口さんの作品「感性ネジ」は、新聞紙と粘着テープを素材に、チャップリンやマリリン・モンロー、恐竜、トランペットなどが螺旋状に積み重なった一つの塔。火にも水にも弱い素材だが、全体の形は大きなネジで「ものを作り続ける希望を込めた」という。  千葉さんによるダンテ「神曲」の現代解釈作品は、福島第一原発1~4号機のジオラマ立体作品などを組み合わせ、原発事故に正面から向き合った。自らの負の感情、そこから立ち上がる精神世界の表現で、神曲に取り組んできた中、起きた原発事故。両親が福島県出身。「美しい川や山、生き物はどうなるのか」と悔しさ、怒りを覚えたという。作品に「原発の恐怖・水の事・食べ物の事・子供がこれから生きる事 すべては金だ だから原発か。」などとする詩を添えた。



2012.2月

第15回 岡本太郎現代芸術賞展、展覧会カタログ(抜粋)

[審査評]
岡本敏子賞  千葉 和成 CHIBA Kazumasa
作品名  ダンテ「神曲」千葉和成 現代解釈集「地獄編1~7圈」

作者は、この作品にありったけの力を注ぎ込んでいる。そして、これから膨大な続編が加えられるだろう未来の作品にも、さらに膨大な力を注ぎ込もうとしている。ボロ雑巾を振り絞るように。技術的に洗練されているわけではない。メッセージが十全に伝わっているわけでもない。しかし、そんな姿勢に感銘を受ける。数年前、ダンテ「神曲」の現代的解釈集という、無謀で壮大な枠組みを設定した作者にとって、このたびの震災、原発事故は、思いがけない、しかし必然的なテーマとしてのしかかることとなった。このテーマを作品化することは、いま、もっとも難しい。真っ正面から、愚直に、真摯に取り組んだ作者に敬意を表して、岡本敏子賞を贈りたい。


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